なんのために生きるのか分からなくなったときに。

駐在妻の憂鬱

こんにちは!駐妻中のiyokanです。いつもご訪問ありがとうございます。駐妻にそぐわない衝撃的なタイトルですみません。

大きな借金があるけど返せない、いじめにあって学校に行くのがつらい、会社がブラック企業で二度と会社に行きたくないけどやめられない、大好きな彼氏に好きな女の子ができて明日からどうしたらいいのか分からない、世の中にはいろんなことがあると思う。でもこうして活字にすると簡単すぎますね。どこにでもあるドラマみたいに、特に衝撃的には聞こえない。本当はそれぞれの思いはそんなに簡単なものではないと思う。

私には大きな悩みはありません。家族も子供もいて海外赴任中、仕事もそこそこあって、現地では語学勉強、たまに友達とランチ等々、一見なんの不自由もない暮らしです。なんの自慢でもなく、周りからはそう見えるのかなと思っただけ。どちらにしても、何十年か後には死ぬのだから、その過程というだけの話ですけど。

時々、何のために生きているのかなと思う。そこで「なぜ生きるのか」ググってみた。皆さんググったことありますか?

いろんな方が「なぜ生きるのか」という悩みに答えていて、宗教的な答えなら「生きているのではなく生かされている。生きていることに感謝して生きる」ということになるし、「どうせ生きているのなら楽しく生きよう」とか「動物的に本能的にただ目の前を懸命に生きてみては?」とか、それなりの答えが書いてあるのだけど、活字にすると簡単だなぁと思う。

どの答えもその通りなんだけど、いや、面倒になって最後まで読んでないけど、なんだかしっくりこない。それは私が今弱っているからなのか・・・何にも心に入ってこない。もう私十分がんばっています!とか、生意気にも思ってしまったりする。多分そういうことを言いたいんじゃない、と偉い方々はおっしゃるでしょう。

最近急に自殺する芸能人に世間は驚いているけれど、芸能人でも芸能人でなくても「生きる意味」を考えたときに、みんな「なぜ生きるのか」をググっただろうか。その結果は、その人の心を動かしただろうか・・・「ご冥福をお祈りいたします」とはどういう意味なんだろう。この年になっても意味が分からないことが多い。

「自分が幸せになりたい」そしてできるなら「世の中をよくするために生きたい」というのは人間の本能かもしれない。でもその本能は、「生きている意味」になるのかな。

今自分が幸せなのか、幸せになりたいのか、何を目指しているのか、どうしたら自分が幸せになれるのか、分からなくなったときに人は生きることを辞めることを考えるのか。

私の場合、小学校から大学まで別にとりたてて楽しいこともなかった。ただ勉強をしていい大学に入って、いい会社に就職して経済力をつければ、一生誰にも頼らずに生きていける。なんのために生きていくかは別にして、誰かに私の人生を左右されないために経済力は必要だった。

そしていつの間にか結婚をして子供を産んで子供を育てて、それなりに普通に暮らしている。子供の頃に死ぬことを考えたとき、育ててくれた両親に申し訳ないと思った。そして今、もし私が死んだら、夫や子供に申し訳ないと思う。私が死んでも、彼らは生きていかざるを得ないし、私を救えなかったと悔やみながら生きることになるだろう。

なんてね。私に死ぬ勇気なんてない。このまま生きていくんだろうと思う。楽しいこともそれなりにあるしね。でも死を選んでしまう人の気持ちも少しだけ分かるの。ただただ、疲れたんだと思う。目の前のことに。

すべてをリセットしたくなったんだと思う。直接的な理由は一つじゃなくて、明日起きて、朝からするべきことのすべてを放棄したくなったんだと思う。それが突発的なものだと言われれば、一晩眠れば我慢できる程度のことだったのかもしれない。

でも多分ずっと我慢をしてきたんだよね。そして少しづつずれていって、他人から見た印象とは違う自分の心がどんどん離れて行って、収集がつかなくなってきたんだと思う。特に人から見られる商売である芸能人は、その乖離が顕著だよね。人間の想像力はよくも悪くもすばらしい。

頑張る人ほどいろんなものを抱え込む。別に学校を休んだっていいし、会社なんて辞めたっていい。彼氏と別れたってもっとイケメンでお金持ちの彼氏をつかまえればいい、でも、そんなに簡単に考えられないの。明日の学校を休みますと仮病を使うのもしんどいし、「いつも真面目に来るのにどうしたの?」とか言われるのも面倒くさい。

周囲の外野に悪意はない。関心興味もおもしろそうなことだけで、ただ聞いてみただけ、ということが多いのに、いちいち傷つく。子供を朝起こして、ブーブー文句を言う子供に簡単なご飯を食べさせ、忘れ物がないかチェックし、学校に遅れないように送りだす。「体操着乾いてる?昨日のうちに準備しなさいっていったでしょ?」「お弁当は持った?残さないでよ。今日の宿題は?持った?」なんて、どこにでもある風景。夫も朝早くに準備をして出ていく。

夫は優しく、子供はかわいい、何の悪気もない。どこにでもある日常。どこにでもある当たり前の幸せ。突然奪われたら私の宝物になるであろう当たり前の毎日。でも時々疲れるのよ。無性に。すべてのことに。

きっと皆そういうことがあるのではないかなと、時々思う。普段は全く思わないけど、何か動物的なサイクルなのだろうか。

誰も悪くない。いつもと何にも変わらない。あえてあげるとすれば、自分の気持ちの問題。

だから今少しだけ我慢をすれば、きっと明日は気持ちが変わっている。そうして明日も生きていく。また楽しい日のサイクルが戻ってくる。がんばり過ぎないように、休み休み行けばいい。

毎日を楽しまなくてもいい。我慢がずっと続くと疲れて終わりにしたくなるけど、一生は続かない。そして少しだけ元気になったら、自分を取り戻す。過去は変えられないけど、これからのことは変えられる。楽しい方向に変えられなくても、つらくない方向、くらいには変えられる。

だから考えられるまで、今はもう少しだけ心を落ち着けよう。明日はきっと今日より楽しい、はず。

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