私はまだ大丈夫、と思うとき。

皆さま、こんにちは。

今日はとってもいいお天気でした。

雨は通勤がいつもより大変だけど、

キライじゃないです。

景色がちょっと曇っているところが好き。

ピーカンの日は、

いろんなものがくっきり見えすぎて、

すべてがうそっぽく感じるのは、

私だけでしょうか。

今の通勤時間は片道1時間半。

少し早めに駅について、

始発で45分座っていく。

そこからさらに地下鉄で30分。

気の遠くなる長さ。

だから始発で座れるかどうかが、

その日一日のパワーに大きく影響する。

でもね。

通勤ラッシュの時間帯でも、

妊婦、老人は乗ってくる。

そのときに席を譲れるか???

これがひとつのバロメーター。

こっちは10分も15分もならんで、

熾烈な争奪戦を勝ち抜き、

やっと確保した席なのよ。

でも自分が乗った隣駅で、

妊婦さんが乗ってきたりすると、

かなり、がっくり。

でもここでゆずれなかったら、

私はもうダメだなと思うのです。

どんなに立派な肩書を手に入れても、

その時点で人としてアウト。

妊婦さんはとっても元気で、

席なんか必要ないかもしれない。

なんて考えてもみるけど、

それは妊婦さんの問題じゃなくて、

自分の問題として、

そこまで追いつめられている自分が、

自分としてダメなのです。

トルストイは言いました。

人は自分個人の幸せを追求するけど、

自分一人では幸せにはなれない。

他者の介在なしには。

だから、

他者の幸福のために生きなさいと。

世界のみんながそうしたとき、

自分個人の幸せは実現すると。

正確じゃなかったらごめんなさい。

かなりの意訳です。

トルストイの言うような世の中には、

簡単にはならないから、

人は苦しむんだけど。

これに置きかえると、

妊婦さんに席をゆずれる自分というのが、

自分個人の幸せにとって必要なのかも。

つらいけど、これができたとき、

自分はまだ大丈夫、と思えるのです。

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